地上デジタル放送波を用いた水蒸気観測─パッシブレーダの研究開発に向けて─

パッシブレーダとは

レーダは、自ら電波を発射し、反射波を受信することで対象物の情報を得る装置です。自ら電波を発射するという意味で、アクティブセンサーとも呼ばれます。こうしたレーダの概念に反し、パッシブレーダは自ら電波を発射しません(パッシブと呼ばれる所以です)。既に他の目的で使われている電波を受信するだけで、何がしか有効な情報を得ようというのがパッシブレーダの考え方です。電波は限られた資源であり、通常レーダなどで電波を発射する場合には無線局免許を申請し、周波数の割り当てを受けなければなりません。パッシブレーダは既に世の中で使われている電波を受信するだけなので、新たな周波数割り当ての必要がなく、究極の周波数有効利用として近年注目されています。

我々センシングシステム研究室では電磁波を用いた環境計測技術の研究開発を行っています。パッシブレーダによる環境計測の検討の中から本研究がスタートしました。将来のパッシブレーダ開発を視野に、電磁環境研究室、時空標準研究室、スマートワイヤレス研究室と共同で本研究を進めています。

機器の調整を行う川村主任研究員

機器の調整を行う川村主任研究員

水蒸気観測の重要性

近年ゲリラ豪雨など局地的で激しい気象現象が多発し、社会問題となっています。我々が開発したフェーズドアレイ気象レーダによってゲリラ豪雨が詳細に観測できるようになり、今後このような現象の予測精度向上に向けた研究がさらに進んでいくと期待されます。一方で、気象レーダでは見えない水(=雨粒になる前の水=「水蒸気」)の存在も重要です。水蒸気の観測手段は現状限られています。面的に広範囲に渡って水蒸気を常時モニターすることができれば、降雨予測の精度向上に大きく寄与できると考えられています。

地上波デジタル放送受信用アンテナ

地上波デジタル放送受信用アンテナ

地上デジタル放送波を用いた水蒸気の推定

電波は伝搬路中の水蒸気量によって伝搬時間が変化します。例えば、電波塔から5 km離れた地点で地デジ波を受信する場合、その5 kmの空間の湿度が1%上昇すると、伝搬時間は約17ピコ秒(17×10-12秒)遅れます。これは、1秒間で地球を7周り半できる光がたった5 mm進むだけの時間です。このようなわずかな伝搬時間の遅れを精密に測定し、空間積算量として水蒸気を推定しようというのが本研究の測定原理です。

現在既に実用化されている水蒸気観測手法にGPSを用いたものがあります。GPS衛星からの電波を地上で受信し、その伝搬遅延から鉛直方向の水蒸気積算量を推定するもので、電波の伝搬遅延を用いるという意味で測定原理は同じです。本研究では、垂直でなく水平方向であること、衛星からの電波より質の良い(SN比(注1)の良い)放送波を使うこと、受信点を多点にばらまくことで水平面内の分解能を上げることが可能なことなどが特徴と言えます。

地上波デジタル放送受信用観測機器

地上波デジタル放送受信用観測機器

本研究で考えている測定手法を図1に模式的に示します。地デジ波の伝搬遅延は電波の位相回転で測定します。電波塔からの放送波を地点Aで受信する場合、地点Aでの測定量は電波の伝搬遅延に相当する位相回転量τAです。ただし、ピコ秒といった非常に細かい精度の測定をするため、電波塔側で放送局が使っている局部発振器の位相雑音(φT)や、地点Aで受信に用いている局部発振器の位相雑音(φA)が無視できず誤差として加わってきます。

結果、地点Aでの測定量はτA+φT+φAとなり、φTやφAがτAより一桁以上大きいため、τAが誤差に埋もれて観測できなくなってしまいます。そこで、電波塔と地点Aを結ぶ直線上にもう一つ地点Bを設けて、地点Aと同じ観測をします。両者の測定量の差を取ることで放送局に起因するφTがキャンセルでき、地点AとBの間の伝搬遅延差(τA-τB :AとBの間の積算水蒸気量に相当)と地点A、Bの局発の位相雑音差(φA-φB)が残ります。地点AとBの局発を同期させることで位相雑音差を乗り除き、AB間の積算水蒸気量を求めるというのが想定している測定手法です。

図1 地デジ放送波を用いた水蒸気推定手法(模式図)

図1 地デジ放送波を用いた水蒸気推定手法(模式図)。

(注1) SN比
信号対雑音比。ノイズに対する所望信号の強度比で、信号強度の指標としてよく使われる。

研究の現状

我々が開発した地デジ放送波の位相変動をリアルタイムで精密測定する装置の写真を図2に示します。主に小型PCとソフトウェア無線(注2)用デバイス(USRP)から成っており、局部発振器からの基準信号(10MHzと1PPS)を基準に動作して、同時に複数局の電波の位相変動を測定できます。図1における地点AやBにこの装置を設置すれば位相変動の測定が可能です。あとは2地点の局部発振器の同期を実現すれば水蒸気量の測定が実現するため、現在この同期技術の開発を進めているところです。

図2 地デジ放送波の位相変動をリアルタイムで測定する装置。

図2 地デジ放送波の位相変動をリアルタイムで測定する装置。

図3に示すのは、図2の測定装置の観測結果の一例(一地点における約50分の測定結果)です。上段と中段のパネルがそれぞれ異なる放送局(21chと22ch)の電波の位相変動を示しています。この測定量は図1で示すところの「地点Aでの測定量(=τA+φT+φA)」にあたります。この時受信ではGPS制御された水晶振動子を局部発振器として用いていました。各放送局はそれぞれ独自のルビジウムを局部発振器として用いています。それぞれの位相雑音をφA、φ21ch、φ22chとすると、上段はτA+φ21ch+φA、中段はτA+φ22ch+φAを示していることになります。水晶に比べてルビジウムは位相雑音が一桁以上小さいため(φA ≫ φ21ch ~ φ22ch)、両者の変動パターンは非常に似通ったものになっています(ほぼ水晶の位相雑音のパターン)。一方両者の差を取ると、図3の下段に示すように変動の振幅(縦軸のスケール)が小さくなった上で、変動パターンが見えます。これは21chと22chのルビジウム同士の位相雑音の差(φ21ch-φ22ch)を見ていることになります。

図3 地デジ放送波の位相変動測定例。一地点における約50分間の測定結果。

図3 地デジ放送波の位相変動測定例。一地点における約50分間の測定結果。

(注2) ソフトウェア無線
制御や信号処理の大部分をソフトウェアで行う無線通信技術。ハードウェアの変更無しに様々な無線通信方式に対応することができ、安価で汎用性が高いため近年注目されている。

今後の展開

現在2地点での観測から水蒸気を推定する実証実験に向けて研究を進めているところです。実証実験の次には多地点展開を考えています(図4)。多地点に展開するためには装置の小型化も重要で、その検討も並行して進めています。水蒸気の面的な分布を常時モニターし、その観測値を数値予報モデルに同化(注3)させることで、ゲリラ豪雨をはじめとする降雨現象の予測精度向上に役立てることを目標としています。

図4 多地点展開による水蒸気観測網のイメージ。数百以上の多地点展開で面的に細かい水蒸気モニターシステムを目指している。

図4 多地点展開による水蒸気観測網のイメージ。
数百以上の多地点展開で面的に細かい水蒸気モニターシステムを目指している。

また、水蒸気以外の測定量、地デジ波以外の電波源なども検討を進め、パッシブレーダの研究に発展させて行きたいと考えています。

(注3) 数値予報モデルに同化
現在の気象予報は、観測によって得た現在の情報を基に種々の物理過程を考慮した数値モデルで未来を計算することによって行われている。このモデルを数値予報モデルといい、そこへ観測データを取り込むことを同化(データ同化)と言う。

ウィンドプロファイラ

ウィンドプロファイラ


研究者紹介