原子時計をマイクロデバイスへ─IoT時代を支える超精密クロックチップの開発─

はじめに

アルカリ金属原子の電子軌道を利用したマイクロ波原子周波数標準は、1960年代に秒の定義として採用され、それ以降、原子時計として各国の時刻標準を支えています。原子時計はラックに収めるような大型の機器ですが、近年は小型化が進み、数cm角大の原子時計モジュールも販売されるようになっています。

機械時計や電気計算機、新しくはオーディオプレイヤまで、身の回りの電気機器は、航空宇宙産業やインフラ用途に始まり、大量生産を必要とする民生用途へと展開されるとき、一挙に小型化され、ウェアラブル化まで突き進みます。この流れは電気機器内に内蔵される電子デバイスとも相関を持ち、電子回路や記憶素子、センサ、マイクと言ったチップの集積度も飛躍的に向上していきます。

私が所属する時空標準研究室にて、日本標準時を管理している原子時計にも、この小型化の波が必ず来るでしょう。次世代携帯電話では、センサ類を含む様々な通信端末間で、同期による効率的な連携が求められており、次世代自動車でも、スマート化と自動運転化の流れの中、時刻同期と位置推定の精度向上がクローズアップされています。このような状況は、超精密クロックである原子時計が民生用途に展開され、爆発的な小型化へと向かう黎明期を予感させます。

私の研究チームでは、原子周波数の超小型化・チップ化技術に逸早く着手し、次世代産業に資する技術の創出に取り組んでいます。

原子時計のマイクロチップ化を開発する原主任研究員

原子時計のマイクロチップ化を開発する原主任研究員

超精密クロックはなぜ必要?

未踏領域の探索に精密な時計は欠かすことができません。見知らぬ街を旅するとき、私たちは地図を片手に歩きますが、地図さえない世界では、時間と速度を測りながら、経路を慎重に計算・記録して進むでしょう。私たちの研究チームは、このような時計の用途を見据え、極めて高精度な原子時計を、微細加工技術を用いてチップ化することを目指しています。これにより、深海や宇宙など、"地図さえない世界"での探索に大きな可能性が広がります。

原子時計はIoT時代のキーデバイスでもあります。スマートフォンやドローンには大量のセンサが内蔵されています。これらのセンサ群にとって地図はGPS衛星からの電波です。しかし、電波は環境に依存し、常時受信可能とは言えません。人間がGPSを利用するときは手元の地図と視覚とで複合的な判断をするため、不便を感じませんが、小さなセンサ部品からするとGPS信号の途絶は暗闇に放り込まれるようなものです。原子時計のチップ化はこのGPSの不安定さを補い、センサ部品への時刻・位置情報を同一機器内にて常時提供可能にします。これは、おびただしい数のセンサが常に時刻と座標を共有していることを意味し、今までばらばらだった測定データを、時空間的に拡がりを持ったビッグデータとして統合することを容易にします。この技術をドローンの撮像に展開すれば、人が踏み込めない場所の3D・4D映像の取得も容易になります。

マイクロデバイスの環境試験装置

マイクロデバイスの環境試験装置

原子時計チップ化への取り組み

原子時計はアルカリ金属原子とレーザとの相互干渉で得られる極めて細い共鳴線を用いて、マイクロ波発振器の周波数を変化しないように制御する(安定化する)技術です(図1)。原子の持つ電子軌道を時間・周波数の基準とすることで、原子時計は極めて安定で精密なクロック信号を供給することができます。

図1. 原子時計の原理図

図1. 原子時計の原理図

原子時計の小型化は欧米を中心に開発が進められ、共鳴線を得る装置の小型化が大きく進展しました。しかしながら、マイクロ波発振器とこれを安定化するための制御回路の小型化はまだまだ発展途上です。我々のチームはここに着目し、圧電体の薄膜に誘起される振動をマイクロ波発振器に利用する新しい原子時計システムを提案しました(図2、3)。大きさ1mmにも満たないこの圧電体の薄膜は、原子の共鳴線で得られる周波数と同じ周波数帯で強い振動(共振)を示すため、同調制御が容易で、発振器と制御回路とを大幅に簡単化・小型化することができます。これにより、市販の原子時計に対して、消費電力とチップ面積を大きく削減することに成功しました。

図2. マイクロ波発振器:従来法と提案手法の比較

図2. マイクロ波発振器:従来法と提案手法の比較

図3. 原子時計用発振回路の小型化

図3. 原子時計用発振回路の小型化:(a) 従来の水晶振動子を利用したマイクロ波発振器、(b) クロオオアリ(体長7mm~12mm)、(c) 新規に開発したマイクロ波発振器

スマートフォンには、人工衛星に採用されている先進技術が多数搭載されていますが、さらに原子時計が内蔵されれば、私たちは人工衛星と同等の機能をポケットに持ち歩くことが可能になります。これは、新しい産業とサービスの創出の明るい未来を予見させてくれます。

今後の展望

原子時計には高周波制御をはじめ、レーザ制御や磁場・温度制御などを高いレベルで実装する必要があり、極めて複雑で複合的な科学装置と言えます。そのため、その開発には学際的な広い知識が必要となります。また、これをマイクロチップ化するとなると、ガス封入容器の微細化や3次元実装といった加工技術の熟練も要求されます。

研究のための研究に陥ることなく、実際に動作し、社会に実りをもたらすデバイスを着実に提供していくためには、大学や企業の研究者をはじめ、我々の活動をフォローしてくださる様々な方々と、協力していくことが必要不可欠と考えています。原子時計のマイクロチップ化に向けて、コア技術の研究開発はもちろんのこと、それに加えて、協業の仕組み作りや場の提供も積極的に行なっています。今後の研究成果にご期待ください。

 

通信機器試作評価実験室にて

通信機器試作評価実験室にて


研究者紹介